トルコ風呂とは?ソープランドの歴史を探る~風俗歴史の豆知識~
ソープランドの歴史をたどると出てくる「トルコ風呂」という言葉。これはいったい何なのか、トルコ風呂繁栄の歴史や廃止になるまでを調べてみました。「昔の遊郭がソープ街になったんでしょ?」という方もさらなる小ネタとしてぜひご覧ください。
トルコ風呂とは
この記事でいう「トルコ風呂」とは性風俗のソープランドの昔の呼び方です。本来の意味である、トルコの伝統的な公衆浴場ハマム(ハンマーム/hamam)のことではありません。1984年(昭和59年)にトルコ人の方の抗議運動によって「トルコ風呂=性風俗用語」ではなくなったので、今では風俗では使われていない単語です。
中東の公衆浴場としてのハマムは蒸し風呂で、男湯には男性の、女湯には女性のあかすり師(マッサージ係)がいました。この「浴場で洗体やマッサージのサービスがある」ことと宮廷のハーレムのイメージが合わさって、1960年代に個室付特殊浴場つまり現在のソープランドの通称になったと言われています。
繁栄までの歴史
1951年(昭和26年)
公衆浴場としてのハマムでは、浴場にいるのは同性のあかすり師なのですが、なぜか異性のあかすり師がつけられるという考えが外国に広まっていったそうです。(本来は男性には男性あかすり師がつくのに、女性あかすり師もつけられると考えられていた)
こうして男性に女性が垢すりすると誤解されたままトルコ風呂のイメージが日本に持ち込まれ、1951年(昭和26年)に銀座の「東京温泉」という施設に取り入れられたのが日本での発祥と言われています。
東京温泉とは
1951年(昭和26年)~1993年(平成5年)東京の銀座6丁目にあった日本初のサウナ施設です。レジャー温泉施設のようなもので、蒸し風呂の他にキャバレーや麻雀クラブ、酒場なども入っていました。関西の方は京橋グランシャトービルを想像すると近いかもしれません、たぶん。
終戦が1945年(昭和20年)なので、わずか6年で銀座にレジャー温泉施設が建ったことになり、戦後の復興というか高度経済成長というかものすごいパワーを感じます。エロは歴史を変えますね。(東京温泉はエロではないけれど…)
そんな東京温泉のトルコ風呂にいたあかすり嬢の名称は「ミス・トルコ」。当時の写真資料を見ると、マッサージ台に寝そべって腰から下をタオルで覆った男性が、ミストルコにマッサージを受けている様子が写っています。
ミストルコは衛生面を考慮してか三角巾のようなものを被り髪を束ねており、キャミソールワンピース姿です。フロア内にお客とミストルコが複数人いるので、性風俗ではなく普通のサウナ施設だったことがわかります。それにしても当時は胸の谷間が見えそうなキャミワンピのマッサージ嬢はかなりセクシーな存在だったのではないでしょうか。
1952年(昭和27年)
東京温泉開業の翌年になると全国各地でトルコ風呂が登場し始めます。京都では「京都トルコ温泉」の開業告知が新聞に載るほど!
そして福岡の中洲に「博多温泉トルコ」、東京の浅草に「新世界トルコ」、北海道の札幌すすきのに「ススキノ・トルコ・センター」などが相次いで開業してまさにトルコブーム!一世風靡ですね。
1958年(昭和33年)
1956年~1958年に「赤線」という公認風俗地域が廃止され、性風俗店が廃業の危機になりました。そこで行き場をなくした風俗店が、代用としてトルコ風呂を始め、サービスも過激になっていき店舗数も増えていったとされています。
本家は純粋にマッサージだけだったのに、おそらく手コキから始まるスペシャルなサービスが付随していったと思われます。
1964年(昭和39年)
この年に東京オリンピックが開催されたことにより、世界中から訪れる方々の手前風紀の取り締まりが強くなり、優良店はサービスを自粛するようになりました。行き場をなくしたトルコ風呂と、赤線廃止で困っていた風俗店が合体し、さらに店が急増していったと言われています。
廃止から「ソープランド」へ
1984年(昭和59年)
東京に留学していたトルコ人留学生が、性風俗として利用されている「トルコ風呂」にショックを受けて、当時の厚生大臣に改名を直訴するなどの改名運動を行います。たしかに海外旅行に行った先で「日本式風呂」が風俗店だったらと思えば、キレる気持ちもわかります。
さらに東京都新宿区(歌舞伎町)に「大使館」というトルコ風呂のお店があり、何の間違いか電話帳に「トルコ大使館」と記載されていていたため、本物の駐日トルコ大使館が抗議!当たり前ですね。
こうした流れがジャーナリストをしていた小池百合子氏の目に留まり、彼女の尽力により改名運動はマスコミで大きく取り上げられました。彼女は現在(2019年)の東京都知事ですね、感慨深いです。
そうして世論も巻き込んでいったところで、各地の特殊浴場協会が「トルコ風呂」の名称を撤廃していきます。ここに至るまで小池百合子氏はかなり戦略を練ったようで、手腕が発揮されたのでしょう。「トルコ風呂」のままだったら現在の国際社会でかなりきわどい問題になる気がするので、称えるべき功績と言えます。
ソープランド誕生
トルコ風呂という名称を撤廃したものの代わりが決まらなかったので、一般公募が行われ、トルコ風呂は「ソープランド」という名称に変わりました。名称発表の記者会見は今はなき赤坂プリンスホテルで行われたということで、けっこう大々的に風俗ネタが報道されてたんですね、時代を感じます。
公募には2400通も応募があり、一番多かったのは「ロマン風呂」、二番目が「コルト」、三番目が「浮世風呂」。コルトは逆さにしただけでは…。ともかく色々な名前が集まった中、選ばれたのが「ソープランド」。
「ソープランド」で応募したのは渋谷区在住の24歳男性(独身サラリーマン)だったそうです。記念に北海道への旅行券がプレゼントされたとか。そこはソープの無料招待券じゃないんですね、でも札幌すすきののソープで遊んできてくれたと信じています。彼が息災に暮らしておられたら今年で59~60歳。まだまだ現役で通われてたら伝説の人になってそうです。
ちなみに前年の1983年には日本最大級のテーマパーク、千葉にあるのに東京を名乗る某夢の国が開業しています。そこから「〇〇ランド」の発想に至ったのかもしれません。なお最初は「バブル」にしようと考えたものの、響きが悪くてやめたのだとか…夢がはじけそうなのでソープで大正解でした。
ついでに例のトルコ風呂「大使館」は「古城」に改名したとか…渋い。
現代のソープランド
繁栄から廃止までを大雑把にまとめると「1960年代にトルコ風呂が性風俗店として流行したが、トルコ人の方の抗議等により1984年にこの呼称を廃止し、ソープランドに名称を変えた」ということになります。
どのあたりから純粋なマッサージだったトルコ嬢のサービスが、手コキやもっと過激なスペシャルサービスになっていったのかは諸説あります。赤線廃止の前からだとか後からだとか…。まあ遅かれ早かれそうなるような環境ではあったのでしょう、温泉トルコのない今となっては確かめようがありませんが…。
「密室できわどい衣装のお姉さんにマッサージしてもらえるサービス」なら現代でいえば流行の風俗エステでしょうか。手コキありでこちらからのおさわりは無し。初期トルコ風呂の「ちょっとだけエッチなサービス」を疑似体験できるかもしれません。
そしてソープランド。泡の国では今日も素敵なコンパニオン達が、男性客をお待ちしております。吉原では一回十万越えのお遊びも可能ですが、当サイト「みんげき」では激安価格で遊べるソープランドもご紹介しています。ぜひ諭吉を握りしめて、現代のお風呂遊びをご堪能ください。
与助
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