【ヒクソン☆高田インタビュー中編】 風俗雑誌を買い始めた1995年が転換期
カリスマ風俗客のヒクソン☆高田さんをお迎えしたインタビュー第二弾。風俗遊びという底なし沼にハマり始めた1995年当時の思い出や、役に立たないエロバカ話をお届けします。
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【ヒクソン☆高田インタビュー前編】風俗に4500万円も使ったバカ一代
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毎月10誌以上の風俗雑誌を買い漁っていた夢多き青年時代
▲フードルという人気風俗嬢たちが表紙を飾っていた風俗雑誌ブームがあったのです
――風俗雑誌をよく買っていたそうですね。
「はい、1995年から2003年ぐらいの間、買ってましたね」
――95年というと国内を揺るがす事件や暗いニュースが続き、混乱していた時代です。新日本プロレスとUWFインターナショナルの対抗戦が激化するなか、10.9ドーム大会で高田延彦が武藤敬司の足4の字固めを喰らって敗北。2月には星野勘太郎が引退。誰もが大きな衝撃を受けたものです。オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件、阪神・淡路大震災もこの年でした。
「随分と昔ですね」
――25~26年の月日が流れ、風俗に使った金額が4500万円ですか。
「はい」
――本格的に風俗にハマるきっかけが、当時たくさん出版されていた風俗雑誌なんですね。
「はい」
――数ある風俗の月刊誌の中で、特に気に入っていた雑誌はありますか?
「ピーク時に月15~16誌は出ていましたが、『ナイトウォーカー』(サン出版)が好きでした」
――意外ですねぇ!! 『ナイタイマガジン』(ナイタイ出版)、『マンゾク』(シーズ情報出版)、『ヤンナイ』(大橋書店)、『ヤンマニ』(大橋書店)、『シティプレス』(東京三世社)、『夜遊び隊』(メディアックス)、『ガールフレンズ』(若生出版)などの中から、『ナイトウォーカー』とは……。
「表紙がよかったんです。お店の女の子がいっぱい出ていて」
――あぁ、そうでした。情報量や製作費ではナイタイやシーズに負けるから、サン出版のような風俗に特化していない出版社は差別化に力を入れていました。量より質。アイディアですね。この頃、私は『夜遊び隊』や『ガールフレンズ』で連載ページを持ってました。
「フードルのコラム、いくつかあったんですよね『ガールフレンズ』。風俗嬢ウケのいい雑誌でした」
――フードル!! 懐かしい響きの死語ですな。念のために説明しますと、フードルとは風俗アイドルの略語。風俗雑誌の表紙やグラビアを飾ったものです、『ヤンナイ』が廃刊した04年ぐらいまでは。それにしても、よく覚えてますねぇ、『ガールフレンズ』のコラムとか。
「多い月で2万円ぐらい風俗雑誌を買ってましたから」
――そして、風俗雑誌にヒクソン☆高田の名前で投稿を始め、存在が知られるようになったんですね。
「はい」
――いつ頃ですか?
「98年、27歳のときです」
フードルとのプレイに溺れて勃起に明け暮れた肉欲の日々
▲唐突に起こって、あっという間に去っていった『だんご3兄弟』ブームでした
――ヒクソン☆高田が誕生して間もない99年春、世の中は『だんご3兄弟』ブームに舞い上がっていました。和菓子職人の高田さんは当然……。
「稼ぎました。毎日忙しくて、風俗には行けませんでしたけど」
――ブームが終わってからは、反動もあって。
「通いまくりました。フードルブームもあって、お金を使いまくりました」
――フードルと遊ぶモチベーションは何でした?
「風俗雑誌に載っているアイドルみたいな可愛い女の子と実際に会えるのが嬉しくて」
――堂々と顔出ししている風俗嬢もいましたよね、CDデビューしたり。
「はい。フードルのトレカも出ていました」
――ありましたね!! 持ってるんですか!?
「ナイタイから発売されていて、ボックスで買い揃えました」
――そのようなフードルと呼ばれた風俗嬢はもの凄い人気で、『3か月待ち』なんていうキャッチフレーズがつけられるほどでした。
「ネットがない平成初期ですから、お気に入りのフードルと遊ぶのは大変でした。店に予約の電話を入れても、なかなかつながらないので」
――それで『チケット取り機』を買ったと聞いてます。
「高かったですが、効果ありました」
――ええっ、効果あったんですか!? 絶対インチキだと思ってました。
「あまりに電話がつながりにくいので、『チケット取り機』を取り付けたら効果がありました。つながるまで自動でリダイヤルしてくれるのです。当時、ライブのチケットは電話申込が主流だったので、『チケット取り機』という名称なのですが」
――じゃあ、いろんなフードルとプレイできたのですね。
「そうですね。ただ、幽霊社員じゃないけれど、雑誌とかに顔を出していても、実際は店にいない風俗嬢もいて。1回も店に出ないコもいました。××のM性感、ジュリアちゃんだっけな。雑誌には載っていても、1回も店に出たことないですよ」
――あの店ですか。まだあるんですかね!?
「あります、あります。広告出しているのを見ました」
――そうなんですか、『闘導館』というプロレス・格闘技ショップに行くとき、あの店のこと思い出します。マスコミ対応が良くて、風俗嬢の宣材プロフィールがよく送られてきました。何度か取材したことがあります。
「かつてミリオン出版の『GON!』によく載っていました」
――へぇー。比嘉さんが編集長の頃ではなく、エロ色が強くなった『おとこGON!』時代かな。体験取材かなんかで。
「そうですね。触れないんですけどね」
――そうそう。客側からは触ることも何もできず、されるだけという。お客さんによっては賛否分かれるのではと思ったものです。
「はい」
――フードルだけに留まらず、M性感もお好きなんですか?
「99年に、『新宿秘密倶楽部』という店にハマりまして」
――後に手コキ風俗に魅了される下地が養われたのですね。
うなぎ屋の上にあった洗体エステでお股のうなぎヌルヌル
▲かつて洗体エステがあった場所。今はDVD鑑賞の金太郎
「非ヌキのエステにもハマったことがあります。森下グループのハワイアン」
――新宿南口にあった『ハワイ・デ・リゾート』ですね。
「06年から3年の間に300万円ぐらい使いました」
――この頃、台湾マッサージ、韓国エステ、中国エステが台頭するなど、さまざまなエステがありました。『ハワイ・デ・リゾート』は店内が広く、宣伝にも力を入れていてバブルな雰囲気があったと記憶しています。
「そうですね」
――ただ、プレイがどうなのでしょうか。シャワーを浴びた後に、紙パンツを履き、そのままでローションを使ったきわどい密着マッサージという内容ですが……。股間のうなぎはまったくシゴいてくれない。1Fがうなぎ屋なのに。
「そんなモヤモヤ感がいいんです」
――ですよね。そういう嗜好の人たちが集まるお店ですから。ひとつ疑問なんですが、プレイがひと通り終わって、エステ嬢が部屋を出るじゃないですか。
「はい」
――かなり長い時間、待たされますよね。
「はい」
――この時間って……。
「もちろん」
――自分でヌイて……。
「そうです」
――ヌキますよねぇ?
「はい、そういう時間だと思います」
――モヤモヤが晴れました。話は変わりますが、高田さんは好みのタイプ、どんなコを指名するのでしょうか?
「好きなタイプは可愛いコ」
――普通ですね。
「モモコクラブのような」
――普通じゃないですね。令和の現在、まさかのモモコクラブですか。のりピーとか畠田理恵がいた、おニャン子クラブの清純版みたいなグループ。
「そうです」
――フードルブームのとき、そんなタイプもいるにはいましたからねぇ。
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シン上田
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